コラン・ダグバ「全力を尽くす」

パリ・サン=ジェルマンのDFが、2016年に首都のクラブにやって来て以来のトップチームでの歩みを振り返った。

コラン、子供の頃のことを聞かせてもらえますか?
「サッカーをプレーし始めたのは6歳の頃、リレにあるクラブだった。それから隣町のイスベルグへ。2010年にはRCランスに引き抜かれたよ。MFでプレーしていて、10番やサイドのポジションだった。その頃はプロ選手になるとは考えていなかった。とにかく楽しむことを考えていただけだ。そこから少しずつ前進して、好きなことを仕事にできるかもしれないと気づき始めた」

ランスは加入から3年後に、あなたをチームに残さないと決めましたが…
「あの年齢では辛いことだった。もちろん落ち込んだよ。両親のこともがっかりさせたと思ったし、それがすごく悲しかった。両親は僕のために動き回って、たくさんのエネルギーもお金もつぎ込んでくれていたから…。今は両親がしてくれた全てのことに感謝するため、2人を幸せにしようと頑張っている。その辛かった時期にはたくさん学ぶことができて、自分に問いかけることができた。ランスでは快適だったけど、自分の目標を達成するためには必死で頑張らなければならないと理解できた。ランスに残ることになると思っていたけど、クラブは僕を引き留めなかった。チームをひとつ減らそうとしていたからだ。シーズンの遅い時期になってそれが分かったから、加入できるプロチームを探すのは難しかった。それでリエヴァンのユースアカデミーに行くと、チームメートの一人がUSブローニュでプレーしていて、ブローニュに誘ってもらえたんだ」

クラブを移って、ポジションも変えましたね
「練習や試合の中で、DFが足りないことが多かった。だから何度かポジションを下げてプレーしているうちに、すごく気に入ったんだよ。ブローニュに行ってからはずっとディフェンスでプレーを続けた。U-16チームでプレーを始めて、すぐにU-17チームの練習に参加するようになった。シーズン前半はその年代の地域選手権でプレーして、その後は全国選手権に移った。そのチームで1年間を過ごしたあとリザーブリームに加わることになった。自分より年上の選手たちの中でプレーして大変だったけど、自分のプレーを適応させることができた。3部リーグで戦っていたトップチームの練習にも参加して、いくつかのプロクラブからの誘いがかかるようになってきた。本格的にやる状況になりつつあると自分に言い聞かせたのはその時だ。必死に頑張り続ける必要があると自分に言っていた」

2016年にはパリ・サン=ジェルマンに加入することになりましたが、その頃は何を考えていましたか?
「パリ・サン=ジェルマンと契約すれば、『もうサッカーしかない!』という思いだ。100%の力を尽くしたよ。いつも集中し続ける必要があった。練習もすごく大変で、レベルも高かった。2018年にはトーマス・トゥヘル監督が、夏のツアーに呼んでチャンスを与えてくれた。ワールドカップを戦ったあと戻ってきていない選手たちが多かったからだ。監督は僕のことを信頼してくれた。いつも彼の指導に応えようとしている。監督から言われるのはアグレッシブになること、献身的にプレーすること、相手DFの裏に走り込むこと、規律と集中力を失わないこと。昨シーズンの終盤には何人かの選手が負傷したり出場停止になったりして、監督は若い選手たちを起用することになった。僕も声がかかった時には、スタメンであれベンチであれ、チームのためにベストを尽くそうと努めた。今季の目標? できるだけたくさんプレーすることだね。監督から呼ばれた時にはチームのために全力で戦うよ」