ネイマールJr、永遠の思い出

インタビュー

ブラジルの10番がパリ・サン=ジェルマンから正式に去ることになった。成功、情熱、感動の6年間をここで振り返る。

世界中が注目した電撃移籍

2017年、夏のマイアミ遠征を終えたパリ・サン=ジェルマンは、世界中の話題をさらう移籍を成功させた。 ネイマールJr.が史上最高額で首都からパリ・サン=ジェルマンに加入したのだ。世界中の報道局がこのニュースを報道し、この歴史的な日のためにパルク・デ・プランスに集まったパリ・サン=ジェルマンのファンたちは、大勢でブラジル人選手を大歓迎、クラブにとって歴史的な一日となった。

201784日(金)、パリ・サン=ジェルマンのナーセル・アル=ヘライフィー会長とともにパルク・デ・プランスで行われた彼の記者会見は、世界各地に中継された。PSGのテレビカメラが密着したルージュ・エ・ブルーでの第一歩は、クラブ史上最も視聴された特集の1つとして残っている。

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翌日(85日、第1節アミアンでのアウェー戦)、パルクで正式に発表された時のことは、すべてのサッカーファンの記憶に忘れがたい瞬間として残るだろう。

即座に与えたインパクト 

ネイマールはその1週間後、ギャンガン戦でデビューを飾った。すぐにチームに溶け込み、初戦でアシストとゴールを決め、第3節のトゥールーズ戦(パルク・デ・プランス)でもゴールを決めた。スキル、ゴール、アシスト...。ネイマールは、そのレパートリーをフルに発揮し、パリ内外で観客を沸かせた。その数週間後、彼はキリアン・エムバペと合流し、ヨーロッパ中の注目を集める攻撃陣を作り上げた。

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ネイは国内問わず輝きを放ち、特にバイエルン戦やセルティック戦での印象的なプレーは記憶に新しいだろう。残念ながら、彼のシーズンは早々に終わったが、クープ・ドゥ・ラ・リーグとクープ・ドゥ・フランスのタイトルに加え、リーグ・アン優勝のメダルを手にした。

記憶に残る数々の名シーン

ブラジルの天才は、試合を重ねるごとに出会ったすべての人にその足跡を残していった。怪我に苦しみながらも、2019914日のストラスブール戦で、試合終了間際に魔法のようなアクロバティックな動きで決めたゴールのように、彼は忘れられない偉業を成し遂げた。2018103日のUEFAチャンピオンズリーグ・グループステージ、パルク・デ・プランスでのレッドスター・ベオグラード戦で決めたハットトリックにより、この大会におけるブラジル人得点王となった。

2020311日のボルシア・ドルトムント戦、パンデミックにより無観客のパルクにおける勝利のヘディングシュートを忘れることはできないだろう。このゴールによりパリジャンはドイツ勢を破り、リスボンで開催されるトーナメントへと駒を進めた。

NJR10のスタッツ

パリ・サン=ジェルマンで173試合に出場した。この数字はもっと多くてもおかしくないが、それでも彼のスタッツは118ゴール(1試合あたりほぼ0.7ゴール!)、70アシストと驚異的だ。ネイマールはルージュ・エ・ブルーでの173試合で188回、得点またはアシストで直接ゴールに絡んでいるのだ。

獲得したメダルはリーグ・アン5回、クープ・ドゥ・フランス3回、クープ・ドゥ・ラ・リーグ2回、トロフェ・デ・シャンピオン3回、パリのユニフォームを着て合計13個のトロフィーを手にしたことになる。さらに、フランスの首都で過ごした間に獲得した個人賞もある。2017年のUEFAチャンピオンズリーグでは最多アシスト(8)、2018年のリーグ・アンではFIFA年間最優秀チーム、リーグ年間最優秀選手を受賞しただけでなく最多アシスト(13)を記録、そして2017年、2020年、2021年にはサンバドール(欧州最優秀ブラジル人選手)を3度受賞している。

ネイマールJr.は、クラブの歴史の複数のページにその名を刻み、このチームを新たな次元へと押し上げた。ファンを歌い、泣き、叫び、踊らせた彼の出発にファンは無関心ではいられないだろう。その冒険は、たくさんの出来事に満ちていた。永遠の思い出を作る旅だった。