伝説の50試合:パリのヨーロッパでの歩み

パリ・サン=ジェルマンの 50周年を祝う今年、PSG.FRはヨーロッパでの伝説の50試合をピックアップし、その1試合目として24年前のブリュッセルでの夜取り上げる!

歴史は刻まれていく。パルマとデポルティーボを下したパリは、オーストリアカップの勝者であったSKラピード・ウィーンとの試合前の予想では優位に立っていた。しかし、フランスの首都のチームは望みを繋いでいたリーグ・アンの優勝を1点差で逃した状態でこの日を迎えた。そして、クラブはチームを特別な合宿のためにアンダイエへと連れて行き、カップ戦の覇者との試合に向けての準備を行った。

決勝の日、37,500人を擁するブリュッセルのヘイゼル・スタジアムへと15,000人ものパリサポーターが赴き、選手たちを応援しにいった。ルイス・フェルナンデスは怪我人もいない状態でメンバーを選ぶことが出来、パトリス・ロコとユーリ・ジョルカエフを前線に揃えた。

彼に言った:「強く振っていけ!」

コンセルを試す前にブリュノ・ヌゴッティがこの試合最初のシュートを放つ(3分)。ただ、パリは12分のシェッテルのラフなタックルによりライを失うことになった。デリー・ヴァルデスが彼と変わることになったが、引き続きパリがゲームの主導権を握った。そして、パリは攻撃を続け、ジョルカエフがまずはチップキックで(17分)、次にこぼれ球を狙ったが(20分)、オーストリアのキーパーの頭上を大きく越えていった。

常に相手の恐怖になっていたユーリは約30mの位置でフリーキックを勝ち取った。ブリュノ・ヌゴッティがそのフリーキックを蹴り、見事ゴールネットを揺らした(1-0、29分)!パトリス・ロコの抜け出しからジョルカエフがシュートを放つが惜しくもポストに阻まれリードを倍にすることができない(58分)。

パリはとどめ刺すことができず、オーストリアの王者は勢いを増していくが、パリのゴールをベルナール・ラマがしっかりと守る。ラマは二度へラフのシュートを防ぎ(64分、73分)、ヤンカー(90分)とバリシッチ(90分)のシュートも防いでチームのリードを守る。ロコがようやく2点目を取ったかと思いきやオフサイドで取り消される。そのまま試合終了の笛が鳴り、パリはUEFAカップウィナーズカップの唯一の勝者となった。

ユーリ・ジョルカエフはこの勝利に喜びを隠さずにはいられなかった:「ブリュノが点を決めた時のフリーキックの距離は普段なら僕が蹴るが、少し距離が長いなと感じた。その時彼に言ったんだ、「強く振って行け!」って。それ以降はもう歴史だよ…。終了の笛が鳴った時、僕は何か強いものを感じた。スリルのようなものでもなく、安堵感でもなく、何かすごいものを達成した感覚であった。ファンの人たちとのセレブレーションは素晴らしいものであったね。」

戴冠の翌日、パリではお祭り騒ぎになっていた。短い夜が明け、パリジャンたちは市役所にて当時の市長であるジャン・ティベリに賞されることになった。午後、選手とスタッフはジャック・シラクによってエリゼ宮殿に招かれた。そして、これらの公の場での式の後、パリジャンたちは5万人のサポーターの待つシャンゼリゼに向かい、パルク・デ・プランスで祝う前にサポーターたちと時間を共にした。

パリ・サン=ジェルマン 1-0 SKラピード・ウィーン(前半:1-0)
UEFAカップウィナーズカップ - 決勝
1996年5月8日水曜日 – ヘイゼル・スタジアム(ブリュッセル)
主審:パイレット氏(イタリア)
得点者:ヌゴッティ 28
パリ・サン=ジェルマン:ラマ(C)- ロシュ、ヌゴッティ、ル・グウェン - フルニエ(ラセール、77分)、ブラボー、ライ(デリー・ヴァルデス、12分)、 ゲラン、コレッター - ロコ、ジョルカエフ。監督:ルイス・フェルナンデス。
SKラピード・ウィーン:コンセル(C)- シェッテル、イヴァノフ、ハッツ、へラフ - キューバウアー、シュテーガー、グッジ、マラセク - シュタンフ(バリシッチ、46分)、ヤンカー。 監督:アーンスト・ドクピル。